社員のひとり言:テレアポのパートタイム型派遣はオールビジネスリンク
2009.02.21 私の麗人
私の麗人のお話をしましょう。
(私の今までの人生で3人います。)
今から14年前、私が人生で最も精神的にきつかった時期であった。男性でいえば41歳の厄年であった。
あらゆるツキを使いはたし、もう落ちないだろうという底まで落ちた。その中で唯一のたった一個のツキがあった。それは庚伸の宮澤社長との出会いである。私の年下の麗人は宮澤社長だけである。
今でこそ庚伸は社員100名の会社で年商20億の会社であるが当時は社員8名の創業して3年目のOA機器を扱うちっぽけなベンチャー企業であった。平均年齢は28歳ぐらい。ある人の紹介で宮澤社長に初めて会った時に当時31歳でとても思えない落ち着きと頭の回転の良さとニコニコしながら話をする宮澤社長の顔を見た時に私の直感でこの若い青年社長は大きくなると思った。
もし宮澤社長に出会わなければ、庚伸という会社に出会わなければ今の自分はないかもしれない。
●自分が人生で一番ツキを無くした時にツキのある上昇気流のある人物と会社に出会ったことが沈む一方の私の人生の流れを変えた。(当然、私も死にものぐるいで働いた。42歳の時は一年間で365日のうち4日しか休まなかった。毎日12時ぐらいまで仕事をした。人生でこんなに仕事をしたことはない。)
私のチョイスの道は2つあったのだが私が選んだ道は正解であった。片方の会社は今は存在しない。
(片方の会社は中堅企業で50名ぐらいの規模であった。)
人生の成功の道も失敗の道も実は人や会社に左右されることが多いのである。
その当時の事を細かに書いたら三流小説になってしまう。(笑)
私は宮澤社長と仕事をした最後の一年間はとても楽しかった。私のお願いで自分の真後ろに座ってもらって
沢山のビジネスの戦略と戦術の話をしたものだ。お互いにディスカッションが大好きだから。(知恵と知恵がぶつかりあっていた。)
庚伸に在籍したのは5年間。とってもきつく楽しかった。
送別会の時に30人の人が集まってくれて心の底から感謝の気持ちで涙が止まらなかった。
私は庚伸の人達や宮澤社長にはとても感謝している。 年下の宮澤社長から自分に無いものを沢山、勉強させてもらった。
現在も庚伸の忘年会や決起大会に呼ばれて乾杯の音頭やスピーチの依頼があった時は恩返しのつもりで一生懸命喋る。
宮澤社長が困った時はいつでも出来る限りの恩返しをしたいという気持ちで一杯である。(困ることはないと思うが。)
新垣
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